歴史
先史時代の銅剣が市付近で出土された点を見ると、先史時代に人が住んでいたものと推定される。百済時代には勿阿兮郡と呼ばれており、新羅時代に務安郡に改称された。高麗時代に海陽道羅州市の勿良郡と呼ばれ、朝鮮時代に再び務安郡と呼ばれるようになった。朝鮮初期には木浦鎮が設置された。大韓帝国時代、開港場に指定されて務安部に昇格し、日本による植民地時代になると木浦部に改称された。植民地支配からの解放後、1949年に木浦市に改称され、現在に至る。
上古時代
三韓の部族国家時代には馬韓の勢力圏に属していた。
三国時代
- 百済の近肖古王(346~375)時代、百済に併合され勿阿兮郡に属していた。
- 新羅の景徳王の時代には、綿州に属していた。
- 地形がまるで首(モク)のように重要な役割をしたことから「モクゲ」と呼ばれていたところを、漢字で表記する際に、「木浦」と書かれるようになったという説がある。
高麗時代
- 恵宗3年(946)、勿良郡に改称。
- 6代成宗朝(995)時代には、海陽道 元羅州牧 務安県に属していた。
- 8代顕宗朝(1018)時代、全羅道の一地域となる。
日本による植民地時代
- 1910.10.1 木浦部に改称
- 1932. 務安郡 二老面 竹橋里全域、山亭里一部併合(全国6大都市のひとつとなる)
- 1914.1.22 湖南線鉄道開通
植民地支配からの解放後
- (1948.04.01) 洞に単位区域名称を改正
- (1949.08.15) 木浦府を木浦市に改称
- (1952.04.25) 第1回地方選挙にて市議会を構成し民選市長を選出
- (1963.01.01) 務安郡 二老面の一部を合併
- (1973.07.01) 務安郡 三郷面 石峴里を二老洞に合併
- (1987.01.01) 務安郡 三郷面 大陽里、玉岩里を編入
- (1994.07.06) 二老洞を龍海洞と上洞に分洞(29洞)
- (1997.01.29) 洞を26洞に調整
- (1998.08.25) 西海岸高速道路開通
- (2004.04.01) KTXサービス開始
- (2006.08.26) 洞を22洞に調整
- (2011.12.26) 玉岩洞を玉岩洞と浮珠洞に調整(23洞)